札幌地方裁判所 平成3年(レ)11号 判決 1991年11月07日
控訴人 甲野春子
<ほか三名>
控訴人四名訴訟代理人弁護士 浅野元広
被控訴人 戊田一夫
右訴訟代理人弁護士 村部芳太郎
同 新田正弘
主文
一 原判決を取り消す。
二 札幌簡易裁判所が平成二年ト第四四号不動産仮処分申請事件について平成二年六月七日にした仮処分決定を認可する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文と同旨
第二事案の概要
一 事案の要旨
本件は、控訴人らが、被控訴人が所有登記名義を有する別紙物件目録一記載の土地(以下「本件係争地」という。)について、時効取得を原因とする所有権移転登記請求権を保全するため、被控訴人を債務者として処分禁止の仮処分申請をし、これを認容する主文第二項掲記の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)を得たところ、これが異議手続における原審判決により取り消されたので、その判決に対して控訴した事案である。
二 争いのない事実など
1 控訴人甲野春子、同甲野夏子、同甲野秋子及び同甲野冬夫(以下「控訴人ら」という。)は、平成元年八月九日に死亡した乙太郎(乙山松夫)の子である。
乙太郎には、丙竹子との間の乙一郎、乙二郎、乙桜子の三人の子のほか、丁梅子との間の子・乙菊夫がいる。
2 被控訴人は、本件係争地及び別紙物件目録二記載の土地(以下「二の土地」という。)の所有名義人である。
3 本件係争地は、別紙図面一表示のB、C、D、E、G、F及びBの各点を順次直直線で結んだ線で囲まれた土地である。
4 本件係争地は、もと二の土地の一部(東側部分)であったが、平成二年六月一一日に分筆されたもので、その東側で別紙物件目録三及び四記載の土地(以下、それぞれ「三の土地」、「四の土地」という。)と、西側で札幌市中央区《番地省略》の宅地(一二四・〇九平方メートル)とそれぞれ隣接している(本件記録に添付された登記簿謄本等)。
5 乙太郎は、昭和六〇年八月九日ころ、測量士の甲田春夫(以下「甲田」という。)に依頼して四の土地の測量(以下「本件測量」という。)を実施したが、その際被控訴人もこれに立ち会った。
甲田は、四の土地の測量地積と登記簿地積が一致したことから、別紙図面一表示のB点(以下「B点」ともいう。)及びC点(以下「C点」ともいう。)に境界石を埋設し、乙太郎及び被控訴人に対し、B点とC点を結んだ線が二の土地と四の土地との境界であり、B点及びC点の境界石を抜去してはならないと説明し、乙太郎及び被控訴人は了承した。
三 争点
1 本件係争地の時効取得の要件の存否
(控訴人らの主張)
(一) 乙田秋夫(以下「乙田」という。)は、別紙物件目録六記載の建物(以下「六の建物」という。)の増築がなされた昭和三七年一二月一〇日ころ、本件係争地の南側部分(別紙図面一表示のB、C、G、F及びBの各点を順次直線で結んだ線で囲まれた土地、以下「乙地」という。)を所有の意思をもって占有することを始めた。
そして、乙太郎は、昭和五九年一二月一二日ころ、乙田から四の土地及び同地上の六の建物を買い受け、それとともに乙地の占有を承継した。
さらに、控訴人らは、平成元年八月九日に乙太郎の権利義務を相続するとともに、乙地の占有を承継した。
(二) 丙田竹夫(以下「丙田」という。)は、昭和三九年六月一日又は昭和四〇年四月二〇日ころ、本件係争地の北側部分(別紙図面一表示のC、D、E、G及びCの各点を順次直線で結んだ線で囲まれた土地、以下、「甲地」という。)を所有の意思をもって占有することを始めた。
そして、三の土地及び同地上の別紙物件目録五記載の建物(以下「五の建物」という。)は、昭和四四年九月二二日ころ丙田から丁田松枝に、昭和五六年四月一四日ころ丁田松枝から甲原四郎、甲原五郎、甲原竹枝、田原梅枝及び乙原桜枝(乙原桜枝の持分は、のちに甲原五郎に移転された。)に、昭和五八年九月二四日ころ甲原五郎らから乙太郎にそれぞれ売り渡され、それとともに甲地の占有が順次各買受人により承継された。
さらに、控訴人らは、平成元年八月九日に乙太郎の権利義務を相続するとともに、甲地の占有を承継した。
(三) 右のとおり、遅くとも、甲地の占有開始時から二〇年が経過した昭和五九年六月一日又は昭和六〇年四月二〇日には、本件係争地に対する取得時効の要件が充足された。
2 乙太郎による時効の利益の放棄の有無及び控訴人らによる時効の援用の許否
(被控訴人の主張)
(一) 甲田は、昭和六〇年八月九日、乙太郎及び被控訴人に対し、別紙図面一表示のB点とC点を結んだ直線が、二の土地と四の土地との境界であり、かつ乙太郎と被控訴人の土地所有権の範囲を画するものであるから、境界石を勝手に除去してはならない旨説明し、乙太郎及び被控訴人はこれを了承した。
右の事実からすると、乙太郎は、被控訴人に対し、時効完成後に本件係争地が被控訴人の所有に属することを認めたことになり、本件係争地に対する時効の利益を放棄したものというべきである。
(二) また、乙太郎と被控訴人は、昭和六〇年一一月ころ、乙太郎が四の土地で犬を飼うために、被控訴人から乙地の一部を借りその周辺に木塀を設置すること、しかし乙太郎、被控訴人のいずれかが所有地を他へ売却する際には、この木塀を直ちに取り壊すことを合意した。
これらの事実からして、被控訴人らが、本件係争地について時効の援用をすることは、信義則上許されない。
(控訴人らの主張)
(一) 乙太郎が、B点及びC点に境界石を設置したことは、単に筆界の位置を確認したに過ぎず、本件係争地の所有権が被控訴人にあると認めたものではない。
仮に、乙太郎が本件係争地の所有権が被控訴人にあると認めたとしても、境界石の設置は意思表示を伴うものではないし、その設置後本件係争地の占有状況に変化のないことなどからして、乙太郎が時効利益の放棄の意思表示をしたとはいえない。
(二) 仮に、乙太郎が本件係争地に対する時効の利益を放棄したとしても、乙太郎は時効の完成の事実を知らなかったことなどの事情からして、控訴人らが、改めて本件係争地について時効の援用をすることは信義則に反しない。
3 保全の必要性
(控訴人らの主張)
控訴人らは、平成二年八月二日、被控訴人に対して、本件係争地の所有権移転登記請求訴訟(本案)を提起したが、被控訴人は、それ以前の同年三月一三日に丙原建物株式会社との間で本件係争地等の売買契約を締結した。
そこで、被控訴人から丙原建物株式会社に対し本件係争地の所有権移転登記がなされた場合、控訴人らが本案訴訟で勝訴しても、本件係争地に対する執行が不能となる。
4 控訴人らの本件仮処分申請の適否
(控訴人らの主張)
(一) 控訴人らが、本件係争地について、乙太郎の相続人全員のために被控訴人に対して所有権移転登記を求めている本件本案訴訟は、固有必要的共同訴訟には当たらない。
(二) 仮に、本案訴訟が固有必要的共同訴訟であるとしても、保全訴訟においては、被保全権利の有無が確定されるわけではないし、合一確定の要請もない。したがって、本件係争地について、直接の関係を持つ控訴人らが行った本件仮処分申請は適法のものである。
第三争点に対する判断
一 争点1(取得時効の要件の存否)について
1 《証拠省略》によれば、次の事実を一応認めることができる。
(一) 昭和三四年当時、札幌市中央区《省略》一〇二五番の二宅地(以下「一〇二五番の二の土地」ともいう。)は、一畆五四歩六九勺の面積の土地であったが、昭和三四年九月一二日にこれから同所一〇二五番の三三(四の土地)及び三四(三の土地)が分筆され、次いで昭和五二年五月二四日に同所一〇二五番の三五が分筆され、さらに同所一〇二五番の三六(本件係争地)が分筆されて現在に至っている。
(二) 被控訴人は、昭和一四年ころ一〇二五番の二の土地のうち現在の二の土地(ただし、本件係争地を分筆する以前のもの)付近を戊原六郎及び甲川冬子の先代から賃借するとともに、同地上の建物の所有権を取得して以来これに居住してきた。
被控訴人所有の右建物とその敷地及びその隣接地である一〇二五番の三〇の土地との位置関係等は、概ね別紙図面二表示のとおりである。昭和一四年ころから昭和五〇年代ころまで、一〇二五番の二の土地上には、同図面に線で表示されているとおり、被控訴人所有の建物の周囲を取り囲んだ木塀が設置されていた。この木塀の東側の線は別紙図面一表示のD点とB点を結ぶ直線より二メートル前後西側にあり、またその西側の線は隣接する一〇二五番三〇の土地に入り込んでいた。
(三) 被控訴人は、昭和一四年ころから右の木塀で囲まれた土地を賃借して使用していたところ、昭和五二年五月二五日ころ、この土地を所有者である戊原六郎及び甲川冬子から買い受ける売買契約を締結し、二の土地について所有権移転登記を経由したが、その後も木塀で囲まれた土地のみを自己の所有地と認識して占有使用を継続してきた。
(四) 他方、乙田は、昭和三四年九月二一日ころ、四の土地及び同地上建物を当時の所有者である乙野四郎から買い受け、その後の昭和三七年一二月一〇日に建物の増築を行って六の建物とした。
遅くともそれ以来、乙田秋夫は、乙地を四の土地の一部と考えて、右建物に付属する物置の敷地として、あるいは、その後右建物用に設置した別紙図面三表示の南側のマンホール及びその付属施設の用地などとして、所有の意思をもって占有してきた。
(五) 乙田は、昭和五九年一二月一二日ころ、乙太郎との間において、乙地は四の土地の一部であるとの共通の考えのもとに、乙田が乙太郎に四の土地及び六の建物を売り渡す契約を結び、四の土地及び乙地を建物とともに引き渡した。乙太郎は、その後六の建物を取り壊し、四の土地及び乙地を五の建物の庭地として使用してきた。
(六) また、丙田は、昭和三九年六月一日ころ、三の土地及び甲地などを買い受ける予定で両地上に五の建物を新築したうえ、昭和四〇年四月二〇日、当時三の土地の所有者であった乙川七郎との間において、甲地は三の土地の一部であるとの共通の考えのもとに、乙川から三の土地を買い受ける契約を結び、三の土地及び甲地の引渡を受けた。丙田は、それ以後甲地を三の土地の一部と考えて、五の建物の敷地として所有の意思をもって占有してきた。
(七) 三の土地及び五の建物は、控訴人らの主張(争点1)のとおりの経過で売買がなされた。その間、丁田松枝は、別紙図面三表示のとおり、甲地内に二つのマンホール及び付属施設を設置して五の建物用として使用し始め、以後の各買受人は、三の土地及び五の建物の引渡を受けるとともに、当然に甲地の引渡を受けた。かくして、乙太郎においても、昭和五八年九月二四日ころ、右の土地建物の引渡を受け、昭和六〇年の春ころから家族と共に実際に五の建物に住み始め、乙太郎の死亡後は控訴人らが同じように使用を続け現在に至っている。
なお、現在の本件係争地の状況は、概ね別紙図面三表示のとおりである。ただし、同図面表示の出窓の西側線よりやや西側の所にBC線に沿って木塀が設置されている。
2 以上の事実からすると、乙太郎は、自己の占有に加えて、前主である乙田の占有を合わせて主張して、乙地を昭和三七年一二月一〇日から所有の意思をもって占有することを開始したとして、その後二〇年を経過した昭和五七年一二月一〇日以降において、乙地の所有権を時効により取得した旨の時効の援用の意思表示をして乙地の所有権を取得することができる地位を取得したものと認められる。
また、乙太郎は、同様にして、丙田らの占有を合わせて主張して、甲地を昭和四〇年四月二〇日から所有の意思をもって占有することを開始したとして、その後二〇年を経過した昭和六〇年二月二〇日以降において、時効の援用の意思表示をして甲地の所有権を取得することができる地位を取得したものと認められる。
二 争点2(時効利益の放棄の有無及び援用の許否)について
1 《証拠省略》によれば、乙太郎は、昭和六〇年八月、甲田がB点及びC点に境界石を設置し、自己に対し、BC線が筆界線であり、勝手に境界石を抜くことはできないと説明した際、これに対し何も述べなかったこと、被控訴人は、この時に初めて二の土地と三、四の土地との境界がBCD線であることを知ったこと、しかし、乙太郎は、その後も甲地上の出窓やマンホールを撤去せず、その準備すらしたことがないこと、また、乙太郎は、昭和六〇年一一月ころ、前記認定のとおりの場所に木塀を設置したこと、甲田は、再び乙太郎から依頼され、昭和六三年五月一九日に甲地の測量をしたが、その際はE点に木杭を設置したに止まったこと、控訴人らの母甲野花子は、平成二年四月、被控訴人から、二の土地と三及び四の土地の境界が別紙図面一表示のBCD線であると認めること、将来五の建物を増改築する際は、本件係争地上のマンホールや建物を撤去することを承諾する旨の書面に署名捺印をするよう求められたが、これに応じなかったことが一応認められる。
2 被控訴人は、昭和六〇年八月の本件測量に当たって、甲田がB点及びC点に境界石を設置した際に乙太郎が時効の利益を放棄したと主張するので、以上の各事実(争いのない事実も含む。)及び本件記録によって検討する。
確かに、乙太郎が右境界石を設置した甲田及び立ち会った被控訴人に対して何らかの異議や意見を表明したり、右設置に反対したことを窺わせる疎明は何もない。しかし、他方、右の際に、乙太郎が本件係争地につき時効の援用をしないことを約し、あるいは被控訴人の所有権を認め、もしくは自らの所有権を放棄するなどの明示の意思表示をしたことを窺わせる資料もまったく存在しない。
また、黙示による時効の利益の放棄の有無を検討してみても、乙太郎の前記認定の行為は、せいぜい筆界線を示すB点及びC点に境界石を埋設することを承諾したものとみなしうる程度のものである。もとより、このような承諾も付加的事情次第では所有権にも関係する言動と解しうる場合もある。
しかし、本件では、当時、乙太郎と被控訴人との間に所有権の範囲についても争いが生じていてその解決のために測量をしたわけではなく、かつ測量を依頼したのも、被控訴人でなく、乙太郎である。しかも、乙太郎及び被控訴人は、本件測量当時、BCD線に乙太郎所有の五の建物の一部がかかっていたり、前記マンホールがこれを越えて設けられていて、本件係争地が乙太郎の占有下にあることを認識しており、それにもかかわらず、土地所有権の有無やこれら物件の存置・移動あるいは占有状態の変更につき何らの議論もなされていない(そのような折衝・議論がなされたことを窺うに足りる疎明はない。)。そして、乙太郎は、B点及びC点の境界石の設置後も五の建物の出窓やマンホールを撤去することをせず、本件係争地の占有の状態を変えていない。また、本件係争地付近では、昭和五〇年当時、すでに近隣の建物の敷地が筆界線よりも西側にずれ込んでいる例が相当数みられ、いわゆるブロック移動に近い状況があった。そうすると、本件測量の際の乙太郎の言動は、筆界線の黙示の承認と認める余地はある。しかし、筆界線の位置の問題と所有権の範囲の問題とは異なり、測量により所有権の範囲が定まるものではないことはいうまでもないところであるから、右の言動をもって、所有権の問題につき何らかの黙示の意思表示をしたものとは認めることはできない。
このように考えると、本件測量の際の乙太郎による時効の利益の放棄の意思表示は、これを認めるに足りない。
また、被控訴人は、本案事件の本人尋問において、乙太郎が昭和六〇年一一月ころ本件係争地の南側に設置した木塀に関して、同人から甲地を貸してくれと何度も申し込まれ、結局これに応じたが、乙太郎、被控訴人のいずれかが所有地を他へ売却する際には、これを取り壊す旨の合意を乙太郎との間でしたと供述している。しかし、右にいう合意の趣旨は、前項で認定した甲13の趣旨とも異なるうえ、土地の貸借や合意を示す覚書、念書の類は一切存在せず、これを裏付ける資料は何もない。
しかも、乙太郎が、右の木塀を本件係争地にかからずに四の土地内に設置することに特段の支障があったとも窺えないから、真実同人が本件係争地が被控訴人に属することを認めていたのであれば、木塀を本件係争地内に設置したことは不自然であって、了解が困難である。
さらに、本件測量の際の乙太郎の言動に関する前記の検討をも合わせ考えると、乙太郎が甲地上に木塀を設置したことは、客観的に評価するならば、むしろ、同人が、昭和六〇年八月の境界石の設置後も本件係争地に対して自己の権利を主張していた事実を窺わせるものでありこそすれ、時効の利益の放棄を推認させるものとは到底いえない。
なお、以上の認定判断のとおり、乙太郎が時効の完成後に本件係争地が自己の所有であることと相反するような行動を被控訴人に対してとっていたとは認められず、乙太郎、甲野花子又は控訴人らと被控訴人との間で土地の境界についての承諾書や念書等の類も作成されず、かえって甲野花子は乙太郎の死後被控訴人からの境界の承諾の要求を拒否していたのであるから、控訴人らによる時効の援用が信義則に反して許されないというべきではない。
三 争点3(保全の必要性)について
一般に、不動産の取得時効が完成した後、その目的不動産が第三者に譲渡されて所有権移転登記手続がなされた場合、時効取得者及びその承継人は、時効取得した所有権を所有権登記の名義人に対しては対抗することができないから、本件においては、乙太郎の相続人である控訴人らは、本件係争地について処分禁止等の仮処分を得て、所有権移転登記請求権を保全する必要があるというべきである。
四 争点4(本件仮処分申請の適否)について
被控訴人は、本件本案訴訟が固有必要的共同訴訟に当たるので乙太郎の相続人の一部からなされた本件仮処分申請は不適法であると主張するが、いわゆる不動産の処分禁止仮処分の申請については、目的物の共有者の一部の者も、保存行為としてこれをなしうると解すべきであるから、本件仮処分申請は適法なものというべきである。
第四結論
以上の次第で、乙太郎の相続人らは、被控訴人に対し、取得時効を援用して本件係争地の所有権を取得することができる地位にあり、その所有権を取得した場合にはその旨の所有権移転登記請求権を行使することができるのであるから、乙太郎の相続人に含まれる控訴人らは、現在、右の登記請求権を保全するため本件仮処分を求めうるというべきである。
よって、控訴人らの本件仮処分申請は理由がありこれを認容すべきであるから、これと同旨の本件仮処分決定は正当として認可し、これを取り消した原判決は正当ではないから取り消すこととする。
(裁判長裁判官 大出晃之 裁判官 菅野博之 松田浩養)
<以下省略>